業績の責任は経営者:中小企業の未来を拓くコンサルネット

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業績の責任は経営者

 人間の行動と思考の原点は、洋の東西を問わず自分を中心とした金銭七分、精神面三分の損得勘定である。

 戦後、日本の経営者に深い感銘を与えたドラッカー教授も「近代企業は再分配の組織である。労働組合政策と労組以外の一般政策の中心問題は分配の問題である」と指摘し、つづいて労組についても「労組は元来が政治的機関である。労使の争いが明らかに会議をめぐって行われている場合においてすら真の闘いは、権限と支配をめぐっている」と、物だけがすべてでなく、そこには人間としてもつ地位、名誉、支配欲など精神面での欲望のもつ重要さを浮き彫りにしている。

 戦後、日本の労使関係の民主化を進めるうえにおいて、GHQが教科書的役割をもたせた実践民主主義(Democracy in Action)の旗手、エパンス博士も「従業員の協力なくして、会社の成長はありえない。従業員の協力こそ最大の力であり、従業員の各人の盛り上がってくる創造的な力と、精神的協力こそ生産性を高め、生活の向上に役立つものである。

 企業の改善には、まず指導者から行われなければならない」と、従業員の力をいっぱいに発揮させ、経営目的に力を結集するためには労使協調が第一であり、それがためには指導者の頭の切り換えと、労働者より先に態度を変えていくことが成功の要諦であると言っている。

 たしかに、経営の主導権は経営者が握っているからには、業績不振となれば労組は経営責任をうんぬんし、経営能力の無能さを指弾する。「より高い生産性は、労働者をさらに酷使することから生まれるものではない。改良された技術、よりよい道具、よりよい設計、新しい工程からだけ招来されるものである。それ故、より高い生産を上げる責任は、全く経営者にあるのであって、労働者に転嫁されるべきではない」という見解も、またうなずける。

 労働組合というのは労働条件の維持、または改善することを目的とする賃金労働者の組織であって、業績を上げるために働くところの組織ではないことを、はっきりと知っておかねばならない。

 働く人たち、個々人がもつ労働力の取引きの当事者としての立場を、自主的に集団として組織づけたものであるからには、それをよく理解し、企業生存の不可欠の存在として、これに対処していかねばならないのである。


2006/11/22 14:48:consulnet.co.jp